西鉄バスジャック事件の犯人・谷口誠一(たにぐち・せいいち)さんの現在は?という話題のほか、逮捕されてからのその後や判決の内容は?など様々な情報を整理していきます。
当時17歳で未成年だった谷口誠一さんが2000年に引き起こし、日本中を震撼させた西鉄バスジャック事件とは何だったのかを今一度振り返っていきましょう。
西鉄バスジャック事件とは?
2000年に発生した西鉄バスジャック事件とはどのような出来事だったのでしょう?
・事件発生は2000年5月3日の午後1時35分ごろ
・太宰府IC(九州自動車道)近くで犯人の谷口誠一が天神行きの西鉄バスをジャックする
・小谷SA(山陽自動車道)停車中に警察官がバスに突入
・警察官に取り押さえられた谷口誠一は逮捕され、突入時の様子はテレビで生中継された
犯人の谷口誠一さんにバスジャックされたのは、佐賀第二合同庁舎から西鉄天神バスセンターが終点となる高速バスで、事件発生時刻は2000年5月3日の午後1時35分ごろと公表されています。
九州自動車道の太宰府インターチェンジ近辺に西鉄バスが到着したところ、乗客の1人だった谷口誠一さんが運転手を牛刀で脅し、バスジャックしたことを宣言。
終点の西鉄天神バスセンターには向かわず、山口県と広島県の高速道路を走り続ける最中、谷口誠一さんは他の乗客を次々に切りつけ、1人が死亡し、日本でのバスジャック事件で初めて人質が亡くなる、という大惨事となりました。
西鉄バスジャック事件が結末を迎えたのは2000年5月4日の午前5時ごろで、山陽自動車道の小谷サービスエリアにバスが停車していたところ、15名の警察官が車内に突入し、犯人・谷口誠一さんの身柄を確保。
「フラッシュバン」と呼ばれる閃光手榴弾を用いてバスの中に突入する様子はテレビで全国生中継されていて、日本国民に大きな衝撃を与えた西鉄バスジャック事件の犯人・谷口誠一さんは今現在何をしているのでしょう?
西鉄バスジャック事件の犯人・谷口誠一の現在は?
西鉄バスジャック事件で逮捕された犯人・谷口誠一さんの現在はどんな感じなのでしょうか?
・逮捕後は京都医療少年院に送致された
・2006年1月に谷口誠一が仮退院したことが明るみに
・仮退院後、何をしているのかは不明
・社会復帰するためのトレーニングを続けている?
逮捕された後の谷口誠一さんは京都医療少年院へと送致されていましたが、西鉄バスジャック事件から4年8ヶ月後の2006年1月に仮退院したことが報じられています。
京都医療少年院を仮退院してからの動きが特定されていないので、2023年5月現在の谷口誠一さんがどこで何をしているのかは全く分かっていません。
仮退院後も社会復帰するためのトレーニングを積み重ね、更生していることを信じたい谷口誠一さんの顔画像やプロフィール・生い立ちの情報は出回っているのでしょうか?
【顔画像】谷口誠一のプロフィールや生い立ち
谷口誠一さん(西鉄バスジャック事件犯人)の顔画像はもちろん、プロフィールや生い立ちをまとめながら、人間性に迫っていきます。
プロフィールと顔画像
名前:谷口誠一(たにぐち・せいいち)
生年月日:1983年(昭和58年)
年齢:39歳or40歳(2023年5月時点)
出身地:佐賀県
事件当時の谷口誠一さんの年齢が未成年の17歳だったため、名前はもちろん、顔画像も公表されていませんでしたが、西鉄バスに乗り込み、運転手の真後ろで威嚇する谷口誠一さんの顔画像がネット上に出回っています。
建設機械メーカー勤務の父親と役所の保健師をしていた母親との間に生まれた谷口誠一さんは兄弟は1人(妹)がいるようですけど、生い立ちを調べていくと、かなり壮絶な人生を送っていたことが判明しました。
壮絶な生い立ち
・中学2年までは成績優秀だったが、いじめに遭ったことで状況が一変
・母親を「貴様」と呼ぶなど、感情を抑えられなくなる
・いじめが認定されず、中学卒業間際に学校の踊り場から飛び降りる
・致遠館(ちえんかん)高校に入学するも、登校日9日だけで退学
・高校退学後は引きこもりになり、両親への態度もどんどん悪くなる
・西鉄バスジャック事件の2ヶ月前、両親が警察と療養所に相談
・国立肥前療養所への入院が決定したものの、両親への反発がより強くなる
・同年代の人物が大事件を引き起こしたことが引き金となり、西鉄バスジャック事件に至る
小さい頃からマイペースな性格だったという谷口誠一さんは年齢を重ねていくにつれて自分勝手な言動・行動が目立つようになり、周囲から孤立していたそうです。
中学2年の頃までは成績上位の優等生だったようですけど、わがままな性格の谷口誠一さんはいじめの対象になってしまい、まともな学校生活を送ることがどんどん難しくなっていきました。
母親のことを「貴様」と吐き捨てるなど、両親にも強い言葉を浴びせるようになっただけでなく、中学校と教育委員会がいじめを認定しなかったことに加え、他の生徒から煽られた時に学校の踊り場から飛び降り、頸椎損傷の重傷を負ったこともあった谷口誠一さん。
中学卒業後に佐賀県立致遠館高校(最新偏差値62~64)へと入学したものの、谷口誠一さんは校風に猛反発した結果、たった9日の登校日だけで退学してしまいます。
致遠館高校を退学した後の谷口誠一さんは引きこもりになり、両親からパソコンを買ってもらったのに、事あるごとに反発する、という手のつけようがない状況になったことを受け、両親は警察と療養所に息子の扱いについて相談するのでした。
対応した国立肥前療養所(現:国立病院機構肥前精神医療センター)は保護入院を即決するのですが、無理矢理入院させられたと考えた谷口誠一さんはこれまで以上に両親への嫌悪感を強めます。
保護入院が決まったのが西鉄バスジャック事件発生の約2ヶ月前でしたけど、入院中に愛知県豊川市で同年代の人物が大事件を起こしたことを把握した谷口誠一さんは手記で犯人を称賛した後、凶行に及ぶのでした。
中学時代のいじめがきっかけとなり、人生が大きく変化してしまったとはいえ、西鉄バスジャック事件というとんでもない出来事を引き起こした谷口誠一さんはどんな判決を言い渡されたのかを調べていきましょう。
西鉄バスジャック事件の判決はどうなった?
西鉄バスジャック事件で谷口誠一さんはどのような判決を受けたのでしょうか?
・2000年5月4日未明、小谷SAで現行犯逮捕
・2001年6月、広島地裁が刑事処分相当との判断を下す
・谷口誠一が未成年だったため、佐賀家裁に送致される
・精神鑑定を行った後、5年以上の医療少年院送致が決定
人質強要行為処罰法および銃刀法違反で現行犯逮捕されている谷口誠一さんは西鉄バスジャック事件発生から約1年後の2001年6月、刑事処分相当と広島地裁から判断されています。
事件当時の年齢が17歳で未成年だった谷口誠一さんは佐賀家裁に送致されることが決まり、精神鑑定の結果を受け、5年以上の医療少年院送致という判決を受けました。
日本史上初のバスジャック人質死亡という衝撃的な事件だったこともあり、もっと重い判決を望む国民から反発されましたが、現行の少年法でギリギリのラインを攻めた結果の判決だったことはしっかりと押さえておきたいですね。
ただ、谷口誠一さんは国立肥前療養所に入院していた時に他の事件を知り、触発されて西鉄バスジャック事件を起こしているのですから、世間から甘い判決だ、と切り捨てられてしまうのも致し方ないのではないでしょうか。